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高学歴高収入女子だけど過去の自分に誇れない人生を送っているとやっと受け入れることができました

将来のことを考えてみてるこの数ヶ月。ひとまず切ない現実を受け入れることができた、かもしれない。


きちんと大学出たしそれも偏差値の高い大学でたし、わたしが生きてるうちに倒産するわけがない会社に入り込んで平均以上の給与もらって毎年給与が上がっていく、とりあえず反感買わずに生きていけば肩書きも収入も確保できる、そんな状況に満足していないといえば、嘘になる。


だけどやっぱり不満があって、男女平等女性活躍がウリのはずの会社は結局誰一人育休とった男性はいなくて、定時に帰れるのは子持ち女性だけで、男性と子どもがいない女性にはひたすら業務を付与されて、上司はまったく悪びれずにサービス残業を指示し、しかもサービス残業しなきゃいけないほど必要とされている(と本人は思ってる)部署であることをちょっと誇りに思ってるみたいで、周りには女の子だけど仕事頑張らないとみたいなこと言われて、若いんだから早く来いと言われて、おじさま方はセクハラだってまったく気付かずに世間でよく咎められること、たとえば30過ぎた女性社員に早く結婚しろと言ってるけど、テレビでよく言われてるセクハラフレーズをよくも自然と口にできるよね。おばさん方は自分が産休育休をとりつつも頑張ってきた自負があるから、それ以上に大変なことを私はやってきたんだからお前も文句言わずにやれと無言の圧力をかけてくる。私がやれたんだからあなたもやれるはずとか、私が頑張ったんだからあなたもやらなきゃいけないとか、そんなのは道徳的にだめでしょう。自分が苦労したからってそれを他人に強いるのは、思考停止でしょう。



わたしが望んで歩いたレールの上にある世界は思ったよりあたまがわるい世界だった。もしかしたら仕事経験が浅いわたしがあたまがわるいのかもしれないけど、会社という敷地を出て外から眺めたら、なんとも思考停止した意味のない慣習がまかり通っている。業務効率化とかそういう理由がないルールがあちこちにある。そんな世界のためにこの若いキラキラした20代を捧げるつもりなんてどこを探してもない。


こんなことならレールからそれちゃえばよかった。よくわかんない、あたまのわるいルールに従うためにレールのうえを快速運転してきたわけではない。


わたしは今時の子だから彼らとは考えが相容れないと思う。彼らは昭和から早く抜けなきゃいけないと思う。なぜなら我々現代っ子は家族を顧みず24時間戦う熱血サラリーマンは退職後過程で居場所がないことを知ってる、熱血サラリーマンが仕事に熱血すぎてパートナーに構わず愛想を尽かされることを知ってる、仕事以外に打ち込むべきコンテンツが豊富な時代に生きている、男女平等女性活躍とは女性に育休をとらせて辞めさせないようにすることではないと気づいている、リスクヘッジとして熱血サラリーマンと専業主婦家庭は致命的だと学んでいる。そんな現代っ子にどれだけ昭和の仕事第一主義を押し付けたって正直1ミリも共感できない。新入社員は会社のルール、たとえば各種制度とか事務の流れを学ぶわけだから、先輩社員たちは新入社員がどういう価値観を植え付けられて生きてきたか学んで欲しい。現代っ子はあんたらが熱血サラリーマンを是としたり女性だけが育休とって適当に復帰させるのが男女平等だと信じたりする社会を作ってきたがためにおきた問題を肌身で感じてるってことを忘れずに仕事して欲しい。




でもそんなことを会社の人に教える暇なんてない。そんなことする暇あれば転職活動するわ。と思ってしばらく転職サイト見てとりあえず志望動機を作ってみるけど結局ネームバリューで会社を選んでしまう自分がいる。ネームバリューのある会社というのは甘いチョコレートみたいなもので、食べたら太るとわかっているのに買ってしまう食べてしまう。結局自分の理想のスタイルのために必要なのはサラダなのに。


一方で、あ、でも進学も良いなと思って大学院を考えてみるけど、勉強する根気がある自信がない。学部時代遊んでばかりいたからそもそもの基礎体力もないし。真剣に考えてみて初めて、あー会社辞めたいだけなんだな私、って気づく。



転職エージェントにいろいろ話さなきゃいけなくて、結局私は何になりたいのか考えたけど、どれだけ悩んでも恋愛結婚して幸せな家庭でぬくぬくしたいという結論にしか至らない。そこに仕事もなければ学問もない。苦労してまで仕事や学問にしがみつかないと成し遂げられない夢なんて私になかった。

そういう自分を確認したところで、Facebookでとある人が過去の自分にメッセージを送っている投稿を見かけた。3年前の自分に向けて、結局会社を辞めて留学してるよ、色々あるけど楽しく暮らしてるよ、という内容だった。紆余曲折あった人生を肯定して誇っていた。



それを読んで気づいた、あ、私は3年前の自分にこういう文章は書けないな。あ、私は自分の人生に誇り持ってないな。不満しかないな。申し訳ないな。お金かけて愛を注いで育ててくれた両親に顔向けできない以上に過去の自分に合わせる顔がない。



じゃぁどうすれば3年後の自分が誇り持てるかって考えたら、とりあえず今の会社にしがみついて業務をひたすらすることのように思えなかった。ただやめたいと思っていたけど、よく考えてもやっぱりやめるのが正解らしい。学卒就職というのは私にとって楽チンな道を選んだ結果で、なんのチャレンジもせずに掴んだ場所だから。そこでそれなりに頑張ったとしても、なんだか、楽チンな場所に入って与えられたことをやり続けているようにしか、受け取れない。



とりあえず会社から離れること。楽して手に入れたポジションから離れて、努力して道をつかむこと。今の会社にい続けても、努力して掴みたいポジションは無いから。転職というより進学が適しているのだろうか。大学の時みたいに、入試突破したら満足してしまわないだろうか、その先のプロセスにも努力し続けられるだろうか。そんな不安はあるけれど、掴みたいポジションのない組織でそれなりに頑張るより、進学のために動くほうが、3年後の自分の誇りに近づけると思った。




それなりの給与もらって物質的豊かさを享受することを第一の価値観として就活からの3年の間生きていたけど、将来の自分が過去の自分に誇りを持てるか、を大事にしようと心を入れ替えた日曜だった。


この決意が月曜の朝に続き、来週も半年後も続き、来年も再来年も続きますように