会社員はもうちょっと自分の会社の立ち位置を理解した方がいい

ちまちま働き続けて月給をもらって一月が終わるという生活も長くなったけれども、仕事にやりがいなんてなくてこの世で一番楽しみな紙切れは給与明細である。

わたしはまぁまぁ高学歴だから周りのおじさんおばさんからなぜうちの会社に来たのかと言われることもそれなりの頻度であるのだけど、その質問には至極簡単なだけど絶対に口にできない答えが待っている、この会社なら適当にしていてもお金がもらえそうだからだっていうそれだけのことだ。

わが社は高学歴からしたら入るのは簡単で適当にやっていてもそれなりの給与がもらえて年功序列でそれなりに給与が上がっていって、そして終身雇用で60まで食いっぱぐれないことがほぼ保証されている、だから適当に生きていたいふらふらしていたい高学歴に大人気なのだ、だから新卒採用のエントリーシートは止めどなく届く。早慶上智、東京一工から山のように届く。

人事は少しはわかっているはずだ、この現状を。わからずにエントリーシートを裁いているならわが社の人事はたぶん無能。だけどわが社の社員はあんまりこの事実現実に気づけていない。わが社を選択した高学歴を本気で不思議がる、その選択を本気で不思議がる。そしてだから、わが社で適当に過ごそうとする高学歴の不可解な実力とありえない無気力に頭を悩ませるのだ。

どこ卒のくせに仕事ができないなんてそういうのは序の口だ、その人がほんとに仕事ができないのか、適当に生きたいたいから仕事を適当にしているのかどったか見極めるのはそれなりに厳しくて、高学歴がゆるふわゆとりちゃんを体現するために入る会社ではそこを見分けてくる人はあまりいないのではなかろうか。

実力を発揮しなさいとか舞台を用意しただとか期待してるというのもきっと違うだろう。その高学歴は適当にいくらかもらうために適当に仕事しているだけであって、出世に結び付くか曖昧な責任なんて欲してないだろう。だからその舞台で高学歴が活躍できないのはほんとうに仕事ができない奴だからかもしれないしあるいは、そんな舞台に興味がないのだろう。その舞台にわざわざ挑んだことによってどれだけ出世の、昇給のスピードがあがるか、責任とそれで得られるかもしれない社会的地位を天秤にかける。たぶんそんな舞台わざわざ挑まずともそれなりの地位はもらえるのが勤務先のいいところで、だから、きっと多くのゆとり系高学歴は責任を背負いたいとは思わないはずだ。

世の中は自己成長とか自己研鑽とかそんな言葉で溢れているけれど仕事で無駄な責任を背負い込んでまで自分を高める必要はあるだろうか。私生活では自分は高まらないのだろうか。責任に潰されそうになってまで人よりちょっと早い出世は必要だろうか。

適当にしていてもそれなりに生きていけるそんな余裕のある会社にはいれただけ幸せと思えそれなりにきちんと働けと怒られればなにも言えない。だがしかし適当にしていてもそれなりに生きていけるようになるために高学歴は高学歴になるために頑張ったという事実もあるところには、ある。

なにが言いたいのかといえば、高学歴だから仕事で出世したいとか結果を出したい評価されたいと思う人間ばかりではないということを世の中に知ってほしいのだ。偏差値さえ稼げばそれなりの世界の仲間入りができる現代日本で、偏差値しか稼げなかった落ちこぼれ高学歴だと笑ってくれればいい。きっと彼らの友人は起業でも社会貢献でもしているだろう。ゆとりを目指す高学歴は、素晴らしい友達に囲まれながらきっとコンプレックスでいっぱいだ。言ってみれば可哀想だ。そんな人たちが自己正当化して一定レベルの、一定レベルでしかない生活を手に入れられるのがわが社であり就活偏差値中堅の企業なのである。だからあなたの仕事場のゆとり高学歴が適当に生きていてもそれはその高学歴が能無しなのではない、能無しなのだろうが脳がないなりに楽な生き方を模索しているところなのだろう。だから不思議がらずに受け入れてほしい、それがこの記事の趣旨だ。

今は2017卒の就活真っ只中である。来春もきっとナメた高学歴がわが社にそして国内の職場に溢れるだろう。世の中の人事部はそんなことに薄々気づきながら、面接に駆り出される社員はそんなことに全く気づかないまま採用活動を進めていく。志望動機を語る有名大学の学生のどれだけが本気でそれを想っているだろうか。6月1日の解禁日まであと少しだ。