東京の人があの日のことを話すとき、ちょっと楽しそうな感じがしてしまう。非日常という、興奮。
脂肪吸引の記事が完成していないけれど、やっぱり今日はこの話題に触れておきたいな、と思ったので、触れてみる。
職場で黙とうをささげてきたけれど、ここでもう一度、亡くなった方のご冥福を祈ります。
さて、
もう5年なのかまだ5年なのか議論の余地があると思うからただ5年とだけ言うけど、5年後の今年は、Twitterで14時46分に「黙とう」する人も少なければ、3月11日という日取りにおめでたいことをすることも、後ろめたさが薄れてきた、というか、「悲しむばかりの日ではない」、いい意味で「ほかの日と同じ」という感覚が出てきたように思う。
きっとこれも個々人で意見が分かれると思うけど、私はこの傾向をいい変化だと思っています、風化と捉える人もいるのかもしれないなぁ、と思うけど。
ところで、
この5年を通してずっと私が思っていたことがある。
首都圏に暮らす私の周りにはもちろん、首都圏に住む人は、「地震で帰宅難民になった」「親族は全員無事」「財産も全部無事」という人が多い。
なんだかそういう人は、あの日のことを話すとき、楽しそうに、見える。
すごく不謹慎なことを言っているのは、わかっています、
だけど、5年間わたしがずーーーっと感じてきたことを正直に言うと、こうなる。
そして、その原因も、考え続けて、なんとなくわかってきた。
(考える間もなく気づくべきだった、と思う)
非日常という興奮。
身の回りに犠牲者のいない人にとって、もしくは財産にダメージの無い人にとって、あの日は、ここ数年でもっとも興奮する非日常の一日だったから、あんな話しぶりをするのではないか、ということに気づくまで5年もかかってしまった。
帰宅難民とか、自転車を買って家まで漕いだとか、学校やホテルに泊まったとか、そういう非日常、計画停電という非日常、学校行事中止とか入学式が消えるとか春休みが延びるという非日常、”不謹慎” ”原発事故”という非日常。
非日常がただの非日常で済んだ人にとって、非日常は悲しみよりさみしさより悔しさより、興奮を呼び起こすんだろう。
場がこういう空気になったとき、
「こんなに楽しそうに話すことじゃないのに」
「なんで話し手はにこにこしているんだろう」
と感じて、
でもいざ自分が当日なにをしてたか聞かれると、臨場感たっぷりにどんな行動をとって家に帰るまでどれだけ大変でどんなに時間がかかったか、熱弁してしまっていた。
よくないことだなぁ、不謹慎だよなぁと思うのだけど周りに言えないし、注意なんてできないし、違和感だけわだかまりだけ、私の心の中に溢れて。
毎年この時期になるとあふれる、ただただ感動ストーリーを垂れ流し復興の遅れを嘆く特集報道もどうかと思うけれど、その一方でなんだか楽しそうに、もちろん本人に悪気はないんだけど、あの日のことを話す自分たちがいる。
それもそれで、あの日への不誠実な態度だと思う。
そんなことない、という首都圏の人もいるだろう、
あくまで私の周囲の話。
不謹慎、という、東北の人もいるだろう、
違和感を行動に移せなくて、ごめんなさい。
たぶん私は、これからも、興奮気味にあの日のことを話す「帰宅難民以外の不幸を蒙っていない人」をとがめることはできない。
空気を読む、から。
でもせめてこの記事がそういう経験のある人の目に留まって、考えるきっかけをあたえることになれれば、と思う。
それで、楽しそうに、あるいは楽しそうという言葉が不適切なら、興奮気味に、あの日の話をする人が減ったらいい。
口頭や面前が無理なら、ネットを、テキストを通して。
卑怯かもしれない、
でも世の中そんなもの。