平成ヒトケタOLの憂鬱~高学歴を添えて~

マッチングアプリでデートにいって素性を明かすとたいてい相手の男性がうろたえる程度の高学歴で大企業勤務。

Tinderの珍獣語録

固定の相手がいないときはよくマッチングアプリに登録しているのだけれど、やっぱりUIではTinderが一番いいと思うのです。楽だし、気軽だし。

Pairsとかで「はじめまして。ご趣味はなんですか?」とかいうまどろっこしいやり取りにはもう飽きた。

 

でもいくらUIが良くたってその場にいる人の質が良く無いとなんにもならないよね。ということで私が即Nopeした事例、即マッチ解除した場合の事例をメモしておきます。あまりにくだらなさすぎて辟易して、ついに最近(相手が見つかったわけでなく)Tinder退会したいち女性の嘆きです。つらい、つかれた、悲しい。あくまで個人の見解なので異論は認めるが誹謗中傷は認めません。

 

こんにちわ!!

こんばんわ!!

 このタイプの「わ」は本当に許せない、ムズムズする、必要以上に馬鹿に見えるって教えてあげたい。

 

どこ住み?

これは私が神経質なのかなと思うけど、あまりに言葉遣いがなれなれしく、幼いように感じます。

私は別に生理的にOKな相手と”やりもく"することに抵抗はないし、住んでる土地を教えるのは別にいいんだけど、このマイルドヤンキーみたいな言葉遣いの人はお互いターゲットどうしじゃないんだなと実感してとっても萎える。

どちらにお住まいですか?どの辺に住んでるんですか?とかなら私の中ではOKです。

 

何区?(何駅?)

住んでるエリアを教えるのは抵抗ないけど、でもこちらが伝えた情報以上のことを、住んでる場所について(例えば最寄り駅とか沿線とか)聞いてくるのはだいぶ不躾だなと思う。

女性のプライバシーって、男性諸君が思うより丁重に扱わないといけないんだよ。うかつに住んでる場所を口外できるほど、世の中は安全じゃないんだよ。

 

一人暮らし?

これは考えすぎだと思うけど、でもやっぱりこのあとに家にいっていい?とかそういう言葉につながる気がしてしまってとても嫌悪する。

多分多くの人は、自炊とかそういう雑談につなげようとしてくれてるんだと思う。でもなんか、そうでない一部の胸糞野郎のせいで、一人暮らしかどうか伝えるのすごい嫌になっている。

ちなみに一人暮らしだったとて、お前を家に上げたりはしないけどな?と思う。下記の理由もあるし、シンプルによくわからない人を家に上げたくない。

 

うち来ない?

家いっていい?

これもすごく不思議なんだけど、初対面の(しかもTinderでしかつながっていない)人を家に招いたり、その人の家に行くことってそんな軽々しくしちゃいけないことだと、私は思うのですが。美人局かもしれないじゃん、危機管理大丈夫?

普段Wikipediaでいろんな事件の顛末を熟読しすぎている私にとっては、初対面の人の家に1人でいくことも、自分の家に1対1で招くことも、とても恐ろしくてできない。市中のラブホテルとかビジネスホテル、レストランとかならいいけれども(Dineはだいぶ安全だと思っていて、それは最初にレストランで会うから)。まあ、それらホテル、レストランが完全に安全かというとそうでもないけど、自宅を行き来するよりは数段マシなのでは。

 

一向に会おうと誘わない

これは完全に言いがかりというか、こっちから誘えよと言われたらそれまでなのですが。ずっとメッセージばかりやり取りしてて、あなた何のためにTinderやっているの?会って話さなきゃ意味なくない?と思うのに、まじで一向に会う流れにしてくれない人。女性は(主語が大きいな。私は)Tinderのマッチ欄もメッセージ欄も常にたくさんの人が待機している状態なので、誘ってこないならさらっとマッチ解除して次へ行きます。

私から誘ってもいいんだけど、なんだかTinderで、マッチングアプリで女性からって、やりもくめしもく扱いされたりするからいやだなあと思って、遠慮してしまうのです。

 

勝手に飲食店を予約する

会おうと誘ってくれて、日時エリアも固まったとき、なぜか私の好みとか一切聞かずに、レストラン予約しちゃう人。しかも特に行きつけとかおすすめとか評判というわけでもない普通のお店。そこに行くくらいなら私がお店探して予約したほうがよかったのに何で勝手に?という気分になりもうすべてのモチベーションが消え失せてしまう。

ちなみに何度もこれくらったことあるのだけど、少なくともそのうち2回は私が行ったことがあるところだった。あと少なくとも別の2回は、Twitterでもばずってたの見たことあるけど、鳥貴族だった。あとは、大学生がクラスコンパするような創作和風居酒屋を5歳上の男性に提案されるとか。

別に過去行ったことのある飲食店も、鳥貴族も、好きです。でも、曲がりなりにも恋愛関係になる可能性になる相手と、そして実際に2人でいることが楽しいかどうか不明な相手と、初回で行くにはTPOがちょっと違う。せめて食事だけでも、おいしかった、いいお店開拓できたなと思える場所がいいのです。

 

 

取り急ぎこんな感じでしょうか。思い出したらまた更新するか新しい記事にします。

 

二年ローンで脂肪吸引した話④効果について

5年前に書いた脂肪吸引の記事、効果について書くのを忘れていた。書くと言ったのに書かないのは嫌だから、書く。

 

太ももの脂肪吸引であるが、維持できている。厳密にいうと、あのあと暴飲暴食で太ったから、その分は多少太くなった。これは自業自得。

 

でもそれでも、周りからは(お腹や腕に比べて)脚は割と細いよね、と言われるから、脂肪吸引してよかったと思う。

 

ちなみに一昨年くらいに二の腕、背中、お腹も脂肪吸引しました。この話はまた今度。

(ちなみにそのときは根こそぎで有名な人にしてもらった)(その人の手腕の問題かわからないけど、何箇所も一気にするよりも分けてやった方がよかったかなと思った。一回でとる脂肪量はやはり制限があるようなので)

選抜試験の”価値”をアラサー女が実感した話

転職して何年も経って、いい会社でそこそこ楽しくやれている。わたしは怒りという原動力がないと物を書く気にならないようで、だから、転職してからほとんどこのブログの存在を忘れて生きていた。

たまたまブックマークからこのブログに久々に降り立って最近何か腹立たしいことがあったかなと思って考えてみたけど、あった。

まあいま一番ムカつくことと言ったら森喜朗さんの失言ですよね、話が長いとかなんとか知らないけど議論すること意見することを躊躇させるようなことを言ってはいけないよね、なんのためにその場に人を集めてるのか。そして性別に言及して悪びれないのもどうかと思うよね。問題になった発言が彼本人のものではなく引用だとかいう話もあるが、なんにせよ公の場でエクスキューズなくああいうこと言っちゃうのがもう問題意識なさすぎるでしょ。なんであの人がずっとああいう立場にいるのか本当に不思議。なんかすごいんだろうか、わたしは今回のこと以外は、蜃気楼と揶揄されていたことしか知らないんだけど。

 

でもわたしがここに書きたいと思い浮かんだ腹立たしいことは森喜朗とかオリンピックのことではない。わたし自身がそこそこ(あえて言えば)選抜された世界で生きてきたことを自覚してしまってなんとも言えない気分になったという話。

自粛だなんだでかなり時間を持て余したので、昨年末近所の勉強会みたいなものに登録した。ビジネスケーススタディでディスカッションするみたいなものである。隣の県くらいまでの人が参加してて、年齢層は40代を中心に30-50代がメインであろうか。社外の人と話すことが普段ないし、実践的なディスカッションを謳っていたのでとりあえず数ヶ月試してみることにした。なかにはMBAホルダーとか百戦錬磨のコンサルタントみたいな人がいると聞いていたから、まあなんにせよ場にいるだけでも成長できるだろうと思った。

しかしである。わたしの発言や考えに対して女性ならではですねとか若いからこそだねとか、若いのにすごいねとか、そういうフィードバックばかり食らうのである。もうそれにうんざりしてケースが頭に入ってこないレベル。今どきこういう場に集まる意識の高いビジネスマンが冗談でもこういう言葉遣いするなんて知らなかった。いかに普段似た価値観の人と一緒にいるか、いかに自社の同僚が教育されているかを痛感した。個々がどう考えようが自由なのは疑う余地はないが、とはいえ人にわかるようにこんな言葉遣いでアウトプットする知り合いはこれまでわたしの周りにいなかったし、居たら遠ざけてきた。

そこそこ意識の高いビジネスマンは道徳意識も高く、世論に敏感だと思っていたが本当に自分が甘かったと悲しくなったしイライラした。彼らは普通のおばさんでありおじさんなのだ、そしてわたしはきっと彼らにとって、小生意気な小娘なのだ。経験値の低い発言をして場を掻き乱すかもしれないから邪魔だと思われているし、すこし賢い発言をしたらそれはそれで年長者の威厳に傷をつけるムカつく対象なのであろう。自覚が足りなかった。

 

これまで中学でも高校でも大学でも前職でも現職でもあんまりこういうことはなかった。あったかもしれないけど、一般職のひととか、違う大学の友達とか、"おんなじだ!"とお互い思わないようなひとたちだったから、まあ世の中そういうもんだよな、お互いがお互いを未知なんだから、と流せる関係の人たちだった。

今回の勉強会の人たちは、そこそこ社会人経験を積んでいて意欲のある人たちだからわたしとおんなじだ、と想定してしまったのが諸悪の根源だった。生まれ育った時代も地域も違う、学歴も学校歴も違う、そのコミュニティに入るのに試験はないし、なんなら業務の一部としてくることを許されている(望まれている)ひともいる。ベースの思考力も違えば、真剣度も違う。なんならセクハラパワハラを取り締まる組織がない空間である。わたしの発言をわたしの属性と直結させたうえで評価されるのはめちゃくちゃむかつくが、そうならないであろうと勝手に思い込んでいたわたしが、愚かであった。世の中に多くを求めすぎていた。

わたしがこれまで心地いい、こういう腹立たしさを回避してこられたのは、ひとえにそこそこの基準をクリアした人しかいない空間で生活してきたからなんだと思う。"わたしとおんなじ"に思える人、たとえば同僚は、入社試験で学歴なり容姿なり言葉選びなりで一定のラインを超えてきた人で、社内の厳格な"男女平等"な価値観を刷り込まれてきた人だったのだ。なんなら"世代平等"でもある。女だろうが若かろうが、男だろうが歳を重ねていようが、ひとを個でとらえなさいと、訓練されてきた人たちだ。それができないと悪口をたたかれる文化の人たちだ。こういう文化はなかなか稀なことを忘れて、それを社外に求めてしまった。愚かだった。

 

迂闊にもその勉強会で役割を持ってしまい先数ヶ月は抜けられそうにない。扱うケースやディスカッションは学びが多いからまあ放棄せずに続けるけど、期限が切れた後どうしようか。ある程度選抜された空間で勉強するのが心理的に楽で学びに集中できるのは自明である。でもそういう場(といってもそこそこ有名な大学院、なんなら海外とかしか浮かばない)に選抜してもらうための素養は今の私にないから、分相応をわきまえるしかないのか。

大学受験まで偏差値で集団を区切る世界に生きていたけど、今思うとなんと楽な世界だったのだろうと思う。会社も然り。まさか受験や入社試験というシステムがわたしにとって自尊心を満たすだけじゃなく、楽に、ストレスフリーで、学びを深める場所を提供してくれるという価値を持っていたと今更気づいたのである。

 

 

「何言ってもいい系女子」の本音

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51374

 

何言ってもいい(と周囲に思われてしまう)系女子について言及してくれた記事。

わたしがこれまで苦しんできた、言葉にできない不快感を明言してくれた。

 

学生時代、男子生徒から酷い扱いをされてたなぁと思う。「お前らの(仲良し)グループで彼氏いないのお前だけじゃんw」「二の腕まじふてぇな!(二の腕を掴みながら)(このときは不快感をあらわにしても、さらに同じ茶化しをしてきた)」「彼氏欲しいのにできないとか干物女wアラサーw」「胸ちっちゃくね?Aあるの?」

 

本人は茶化したりdisったりすることでコミュニケーションをとりたかったのだろうし、場を盛り上げたかったのかもしれない。

でも私は、記事にあるように、これらの発言ひとつひとつに心をえぐられ、悲しくなって、それでも笑顔でいた。

一方で、虚しい事実ではあるが、当時の私は、私が茶化されて盛り上がるのであれば、それは私がその場に存在することを許されている証拠だと、少しほっとする材料にすらしていた。

それでも自宅に帰って冷静になってから、とても落ちこんで、やり場のない怒りに脳内を占拠されて夜眠れないこともあった。

 

冷静になれば、茶化されることでしか存在を許されないコミュニティに参加する必要はない。私を不快にする方法でコミュニケーションをとろうとする人と関係性を築く必要はない。

 

 

職場では、幸いにもこういった経験はしていない。

でも、たまに気になる発言がある。女の子がいると華があるねとか、若いのに仕事ばっかりして大変だねとか、彼氏いるの?彼氏できたらどうなるの?超デレるんでしょ?

発言主は(中年男性の多い職場なので)たいてい男性だ。本人としては世間話レベルで、私を見下しているわけではなく、傷つける意図もない。悪意もない。むしろ、私に質問することで、私のひととなりを引き出そうとしてくれている、善意なのかもしれない。

だから私もそれらしく反応するし、特段発言主を嫌うことはないけれど、でも やっぱり職場で(特に他社の人から)こういったプライバシーに直結する話題を出すのに抵抗がある。

もっとテレビドラマとか天気の話とか、そういう話で盛り上がることはできないのか?

世間話というのは教養の見せ所だと思う。

場を持たせたり相手をより深く知るために、個々人のプライバシーに直接踏み込みかねない質問は不要と思う。芸能、芸術、スポーツ、科学、時事問題といった昨今の話題を蓄えておけば、その話をするなかで、個人の価値観なり興味なりは自ずと染み出してくるものだ。

 

 

誰かを傷つけたり不快にしたりプライバシーを暴くような質問に答えることなく、またそういった質問をすることなくコミュニケーションをとれるビジネスマンになりたい。

 

 

 

最後に、べつに"女子"に限らず、こう言ったことに苦しんでいる人は多いはず、と思う。

振り返れば、わたしも(とくに男性に対して)「この人には多少きついdisりをしてもいいや」と思ったこともあったし、実際傷つけるようなことを言ったことがあるように思う。反省している。

この話題について、女性だからと被害者ぶるだけではいけないと、強調しておきたい。

高学歴総合職女子、大企業を辞めました

結局高学歴女子がなぜこの会社にいるのかきちんと理解してくれない会社からは、去ることにした。

 

転職面接で、付き合い残業という言葉を説明させた会社に行くことにした。この世にそんなものがほんとうに存在するのだと、あっけにとられた顔をする面接官をみて、まぁこの会社なら大丈夫だろう、と感じた。

 

現職の先輩社員たちには、この会社を辞めるなど勿体無いと言われ、たいして社歴ないのに辞めるなどあなたの人生の汚点になるとすら言われた。ただこの会社にあるものすべて失うことを惜しいともなんとも思わないからやめるわけであり、この会社にこれ以上いるのはそれこそが人生のリスクだと思えるから辞めるのだ。善意で言ってるのか知らないけど放っておいてほしい。あなたの善意はわたしには関係ない。

 

わたしがわたしとして楽チンな道、比較的適当に生きていても年齢に比例して高給が約束される道を歩みたくて現職に就いた。確かにそういうものはあったけど、周りはわたしが夢ある女性総合職らしくサービス残業して苦労することを望んでくるわけで、そんな環境はちょっと無理だ。男だろうが女だろうがサービス残業は違法であり、その他諸々の社内ルール不文律も不合理であり、そんなものを強制する管理職がでかい顔して指示を出すとかちょっと耐えられない。年齢に比例した給与をもらうためには想像以上の不合理に甘んじなければいけないと理解した瞬間、その不合理と給与は不釣り合いだと思えてならなかった。そんな環境に割く時間は人生100年になったとはいえ、無い。とりあえず高学歴女子総合職の頭数を揃えたくてわたしを採用した新卒採用担当には申し訳ないが、わたしの人生はわたしが生きるのであって、情で働き続けるほど私は暇じゃない。恨むなら社風を恨んでくれ。

 

 

ちなみに現職を辞めることについて勿体無いとか言ってくる人は社外にはいない。転職先を告げると、さもありなんという顔をする。わたしは社員をきちんと大切にする会社を選んだまでだ。無駄な残業を強要しないとか、中途半端な女性活躍を謳っていないとか、そういう(基本的な)次元において転職先のほうがまともであることは、日経系の記事をかじったことのある人なら皆知ってることだ。逆にいえば、現職を去るのを勿体無い、転職先は辛いのではないかと口を挟んでくる人はきっと、ビジネスマンではない。そんな人のアドバイスを聞くほど暇ではないのだ。

 

 

こんなことを言って転職して行く人はあまりいないと思うけれど、わたしの場合に限って言わせて貰えば、決して夢があったりやりたいことがあって転職するわけではない。ただまともな労働条件のある場所に、労働力の提供先を変更したまでだ。社風がどうだとか、仕事内容がどうだとか、そういうことを偉い人には言ってみるけれど、本当の理由を現職の偉い人つまりはよくわからん不当な労働環境に適応して評価されてきた昔の人に話す時間はわたしにはない。平成生まれのゆとり新卒はあなた方の想像より頭でっかちだ。たとえばサービス残業は違法残業だと知っている。違法労働をさせておいて、いざ辞めると言ったら周囲の人の迷惑になると責め立てて怒鳴り散らして誤魔化すような無能管理職に伝える本当の転職理由なんてない。自分の監督能力を恨め、さもなくば勝手に堕ちていけ。労基署に踏み込まれて減給左遷の憂き目にでも遭えばいい。

 

 

 

ちなみにそれなりの人数の同期、特に総合職女子が辞めているけど、採用担当はどれくらい負い目を感じることになるのだろうか。とくにPDCA回さず振り返ることもないのだろうか。ほんとうに女性の活躍だとか総合職を増やすとかそういうことを考えたいのであれば、やめた人達になぜやめたのか真摯にヒアリングかけるくらいのアクションを起こしてもいいとすら思う、新卒採用担当のみなさん。あなた方が目指す姿がどうなのかわからない、100人女性総合職採って10人残ればいいと思ってるなら今のままで充分だと思う。でも、もし50人に残ってほしいと思っているなら、さすがにやめた人達に事情とか本音を聞くべきだと思うよ、このやり方で、この景気の中でゆとり社員を社内に引きとめておくのは相当難しいと私は感じているのだけど。

 

高学歴高収入女子だけど過去の自分に誇れない人生を送っているとやっと受け入れることができました

将来のことを考えてみてるこの数ヶ月。ひとまず切ない現実を受け入れることができた、かもしれない。

 

きちんと大学出たしそれも偏差値の高い大学でたし、わたしが生きてるうちに倒産するわけがない会社に入り込んで平均以上の給与もらって毎年給与が上がっていく、とりあえず反感買わずに生きていけば肩書きも収入も確保できる、そんな状況に満足していないといえば、嘘になる。

 

だけどやっぱり不満があって、男女平等女性活躍がウリのはずの会社は結局誰一人育休とった男性はいなくて、定時に帰れるのは子持ち女性だけで、男性と子どもがいない女性にはひたすら業務を付与されて、上司はまったく悪びれずにサービス残業を指示し、しかもサービス残業しなきゃいけないほど必要とされている(と本人は思ってる)部署であることをちょっと誇りに思ってるみたいで、周りには女の子だけど仕事頑張らないとみたいなこと言われて、若いんだから早く来いと言われて、おじさま方はセクハラだってまったく気付かずに世間でよく咎められること、たとえば30過ぎた女性社員に早く結婚しろと言ってるけど、テレビでよく言われてるセクハラフレーズをよくも自然と口にできるよね。おばさん方は自分が産休育休をとりつつも頑張ってきた自負があるから、それ以上に大変なことを私はやってきたんだからお前も文句言わずにやれと無言の圧力をかけてくる。私がやれたんだからあなたもやれるはずとか、私が頑張ったんだからあなたもやらなきゃいけないとか、そんなのは道徳的にだめでしょう。自分が苦労したからってそれを他人に強いるのは、思考停止でしょう。

 

 

わたしが望んで歩いたレールの上にある世界は思ったよりあたまがわるい世界だった。もしかしたら仕事経験が浅いわたしがあたまがわるいのかもしれないけど、会社という敷地を出て外から眺めたら、なんとも思考停止した意味のない慣習がまかり通っている。業務効率化とかそういう理由がないルールがあちこちにある。そんな世界のためにこの若いキラキラした20代を捧げるつもりなんてどこを探してもない。

 

こんなことならレールからそれちゃえばよかった。よくわかんない、あたまのわるいルールに従うためにレールのうえを快速運転してきたわけではない。

 

わたしは今時の子だから彼らとは考えが相容れないと思う。彼らは昭和から早く抜けなきゃいけないと思う。なぜなら我々現代っ子は家族を顧みず24時間戦う熱血サラリーマンは退職後過程で居場所がないことを知ってる、熱血サラリーマンが仕事に熱血すぎてパートナーに構わず愛想を尽かされることを知ってる、仕事以外に打ち込むべきコンテンツが豊富な時代に生きている、男女平等女性活躍とは女性に育休をとらせて辞めさせないようにすることではないと気づいている、リスクヘッジとして熱血サラリーマンと専業主婦家庭は致命的だと学んでいる。そんな現代っ子にどれだけ昭和の仕事第一主義を押し付けたって正直1ミリも共感できない。新入社員は会社のルール、たとえば各種制度とか事務の流れを学ぶわけだから、先輩社員たちは新入社員がどういう価値観を植え付けられて生きてきたか学んで欲しい。現代っ子はあんたらが熱血サラリーマンだけを是としたり女性だけが育休とって適当に復帰させるのが男女平等だと信じたりする社会を作ってきたがためにおきた問題を肌身で感じてるってことを忘れずに仕事して欲しい。

 

 

 

でもそんなことを会社の人に教える暇なんてない。そんなことする暇あれば転職活動するわ。と思ってしばらく転職サイト見てとりあえず志望動機を作ってみるけど結局ネームバリューで会社を選んでしまう自分がいる。ネームバリューのある会社というのは甘いチョコレートみたいなもので、食べたら太るとわかっているのに買ってしまう食べてしまう。結局自分の理想のスタイルのために必要なのはサラダなのに。

 

一方で、あ、でも進学も良いなと思って大学院を考えてみるけど、勉強する根気がある自信がない。学部時代遊んでばかりいたからそもそもの基礎体力もないし。真剣に考えてみて初めて、あー会社辞めたいだけなんだな私、って気づく。

 

 

転職エージェントにいろいろ話さなきゃいけなくて、結局私は何になりたいのか考えたけど、どれだけ悩んでも恋愛結婚して幸せな家庭でぬくぬくしたいという結論にしか至らない。そこに仕事もなければ学問もない。苦労してまで仕事や学問にしがみつかないと成し遂げられない夢なんて私になかった。

そういう自分を確認したところで、Facebookでとある人が過去の自分にメッセージを送っている投稿を見かけた。3年前の自分に向けて、結局会社を辞めて留学してるよ、色々あるけど楽しく暮らしてるよ、という内容だった。紆余曲折あった人生を肯定して誇っていた。

 

 

それを読んで気づいた、あ、私は3年前の自分にこういう文章は書けないな。あ、私は自分の人生に誇り持ってないな。不満しかないな。申し訳ないな。お金かけて愛を注いで育ててくれた両親に顔向けできない以上に過去の自分に合わせる顔がない。

 

 

じゃぁどうすれば3年後の自分が誇り持てるかって考えたら、とりあえず今の会社にしがみついて業務をひたすらすることのように思えなかった。ただやめたいと思っていたけど、よく考えてもやっぱりやめるのが正解らしい。学卒就職というのは私にとって楽チンな道を選んだ結果で、なんのチャレンジもせずに掴んだ場所だから。そこでそれなりに頑張ったとしても、なんだか、楽チンな場所に入って与えられたことをやり続けているようにしか、受け取れない。

 

 

とりあえず会社から離れること。楽して手に入れたポジションから離れて、努力して道をつかむこと。今の会社にい続けても、努力して掴みたいポジションは無いから。転職というより進学が適しているのだろうか。大学の時みたいに、入試突破したら満足してしまわないだろうか、その先のプロセスにも努力し続けられるだろうか。そんな不安はあるけれど、掴みたいポジションのない組織でそれなりに頑張るより、進学のために動くほうが、3年後の自分の誇りに近づけると思った。

 

 

 

それなりの給与もらって物質的豊かさを享受することを第一の価値観として就活からの3年の間生きていたけど、将来の自分が過去の自分に誇りを持てるか、を大事にしようと心を入れ替えた日曜だった。

 

この決意が月曜の朝に続き、来週も半年後も続き、来年も再来年も続きますように

 

 

 

会社員はもうちょっと自分の会社の立ち位置を理解した方がいい

ちまちま働き続けて月給をもらって一月が終わるという生活も長くなったけれども、仕事にやりがいなんてなくてこの世で一番楽しみな紙切れは給与明細である。

わたしはまぁまぁ高学歴だから周りのおじさんおばさんからなぜうちの会社に来たのかと言われることもそれなりの頻度であるのだけど、その質問には至極簡単なだけど絶対に口にできない答えが待っている、この会社なら適当にしていてもお金がもらえそうだからだっていうそれだけのことだ。

わが社は高学歴からしたら入るのは簡単で適当にやっていてもそれなりの給与がもらえて年功序列でそれなりに給与が上がっていって、そして終身雇用で60まで食いっぱぐれないことがほぼ保証されている、だから適当に生きていたいふらふらしていたい高学歴に大人気なのだ、だから新卒採用のエントリーシートは止めどなく届く。早慶上智、東京一工から山のように届く。

人事は少しはわかっているはずだ、この現状を。わからずにエントリーシートを裁いているならわが社の人事はたぶん無能。だけどわが社の社員はあんまりこの事実現実に気づけていない。わが社を選択した高学歴を本気で不思議がる、その選択を本気で不思議がる。そしてだから、わが社で適当に過ごそうとする高学歴の不可解な実力とありえない無気力に頭を悩ませるのだ。

どこ卒のくせに仕事ができないなんてそういうのは序の口だ、その人がほんとに仕事ができないのか、適当に生きたいたいから仕事を適当にしているのかどったか見極めるのはそれなりに厳しくて、高学歴がゆるふわゆとりちゃんを体現するために入る会社ではそこを見分けてくる人はあまりいないのではなかろうか。

実力を発揮しなさいとか舞台を用意しただとか期待してるというのもきっと違うだろう。その高学歴は適当にいくらかもらうために適当に仕事しているだけであって、出世に結び付くか曖昧な責任なんて欲してないだろう。だからその舞台で高学歴が活躍できないのはほんとうに仕事ができない奴だからかもしれないしあるいは、そんな舞台に興味がないのだろう。その舞台にわざわざ挑んだことによってどれだけ出世の、昇給のスピードがあがるか、責任とそれで得られるかもしれない社会的地位を天秤にかける。たぶんそんな舞台わざわざ挑まずともそれなりの地位はもらえるのが勤務先のいいところで、だから、きっと多くのゆとり系高学歴は責任を背負いたいとは思わないはずだ。

世の中は自己成長とか自己研鑽とかそんな言葉で溢れているけれど仕事で無駄な責任を背負い込んでまで自分を高める必要はあるだろうか。私生活では自分は高まらないのだろうか。責任に潰されそうになってまで人よりちょっと早い出世は必要だろうか。

適当にしていてもそれなりに生きていけるそんな余裕のある会社にはいれただけ幸せと思えそれなりにきちんと働けと怒られればなにも言えない。だがしかし適当にしていてもそれなりに生きていけるようになるために高学歴は高学歴になるために頑張ったという事実もあるところには、ある。

なにが言いたいのかといえば、高学歴だから仕事で出世したいとか結果を出したい評価されたいと思う人間ばかりではないということを世の中に知ってほしいのだ。偏差値さえ稼げばそれなりの世界の仲間入りができる現代日本で、偏差値しか稼げなかった落ちこぼれ高学歴だと笑ってくれればいい。きっと彼らの友人は起業でも社会貢献でもしているだろう。ゆとりを目指す高学歴は、素晴らしい友達に囲まれながらきっとコンプレックスでいっぱいだ。言ってみれば可哀想だ。そんな人たちが自己正当化して一定レベルの、一定レベルでしかない生活を手に入れられるのがわが社であり就活偏差値中堅の企業なのである。だからあなたの仕事場のゆとり高学歴が適当に生きていてもそれはその高学歴が能無しなのではない、能無しなのだろうが脳がないなりに楽な生き方を模索しているところなのだろう。だから不思議がらずに受け入れてほしい、それがこの記事の趣旨だ。

今は2017卒の就活真っ只中である。来春もきっとナメた高学歴がわが社にそして国内の職場に溢れるだろう。世の中の人事部はそんなことに薄々気づきながら、面接に駆り出される社員はそんなことに全く気づかないまま採用活動を進めていく。志望動機を語る有名大学の学生のどれだけが本気でそれを想っているだろうか。6月1日の解禁日まであと少しだ。